笑う時の日記

生かされも殺されもする。それが笑い。その魅力が伝われば。

必要なのかは分からない。けれども。~見世物小屋 花園神社 酉の市 2013/11/15

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2013年11月15日、初めて花園神社の酉の市に行った。外見から分かる人や喋りでその気がみえるオネエ、オニイの人やヤクザ者。水商売らしい人など様々な老若男女がごった返し、屋台は沢山出て熊手を買うたび威勢のいい合いの手が繰り広げられる。今まで、近くに実家があったものに行ったことが無かったが今まで知らなかった新宿の一面を見たような気がした。この様なことに魅力を感じたのなら、玉袋筋太郎菊地成孔の著作を読むのも良いのかもしれない。

最も、本当の目的はあった。それは見世物小屋。芸能の原点であるともいえるし、今では大っぴらにメディアで扱う事なんて出来ないであろう。私はスプラッター、グロテスクなものが大の苦手だが興味があって怖いもの見たさにも近い気持ちで観に行った。

 

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場所は何処かと探したらあった。おばさんがキンキラの派手な格好をして客引きをしている。中に入ると客が沢山入っていて高い位置と下の地面と二つの高さでみれて、全出演者が観終わるまで少しづつ出口に移動しながら、観るわけだ。入り口が敢えて人で詰めず空かすのは客の循環をよくするためであるようだ。司会のボーイスカウトの格好をした男は汗だくになりながらも見事な喋りで舌好調であった。舞台には扉があり、そこが吊り上げらることによって開いたところから芸人が出てくる。

肝心の芸はヤバさマックス。首狩り族に扮した鎌を持った二人組の男は奇声をあげて暴れまわり、司会にも襲い掛かりサッと引いたようにもなったが鎌を取り上げられドライアイスを口に含んだ。電撃ネットワークが同じことをやっているが、そこに至るまでのプロセスが違うと衝撃も変わる。へび女は出てきたが、うろこの装飾がされているだけで実際に食べたのはゲジゲジであった(ちなみにその日屋台で私はイナゴの佃煮を買った(笑)。)

後に知ったがこのような事情があったようだ。

DaidougeiAjiageppou・坂野比呂志大道芸塾{浅草雑芸団}発行 通巻170号 毎月1回発行、2006年1月1日発行

私は今のお笑いも含めた表現に関する自主規制や批判は、臭い物に蓋をするかのごとくであり疑問を感じるが、いかさか複雑な気持ちになった。もう見世物小屋は無くなるかもしれないが、それでも何か人前で芸を見せるというのはそもそもこういう事であったのは事実だ。この前、ワタリウム美術館で展覧会をやっていたのを観に行った寺山修司は生前に天井桟敷を立ち上げたテーマは見世物小屋の復権だった。今この日常がおかしい中で圧倒的におかしいフィクションをつくらなければいけない。

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